オフィシャルブログ

月別アーカイブ: 2026年7月

未来に繋ぐ阿波晩茶~次の百年へ~

皆さんこんにちは!

Kamikatsu-TeaMateの更新担当の中西です!

 

~次の百年へ~

 

阿波晩茶は、徳島県の山間部で長い年月をかけて受け継がれてきました。

家族や地域の人たちが協力して茶葉を摘み、大釜で茹で、茶葉を摺り、桶に漬け込んで発酵させる。完成したお茶は自宅で飲み、親戚と分け合い、余った分を販売する。

この循環が何世代にもわたって続いてきたことで、現在も私たちは阿波晩茶を味わうことができます🍵

しかし、伝統が長く続いてきたからといって、これからも自然に残るとは限りません。

生産者の高齢化、後継者不足、茶畑の管理、作業負担、販売価格、気候の変化など、阿波晩茶農家を取り巻く課題は少なくありません。

今回は、阿波晩茶農家が次の時代へ進むために必要な取り組みと、新しい農家のあり方について考えます。

最大の課題は「つくる人」が減ること

阿波晩茶の製造には、多くの人手が必要です。

特に茶摘みは、暑い夏に山の斜面で行われます。茶の木が点在している場所では機械を使用しにくく、一枚ずつ人の手で摘まなければならないこともあります。

摘み取った茶葉を運び、大釜で茹で、茶摺りを行い、桶に詰める作業にも体力が必要です。

高齢の農家が一人または夫婦だけで続けるには、負担が大きくなります。

担い手不足や高齢化によって阿波晩茶の存続が課題になっていることは、現地の生産者からも指摘されています。農業体験や情報発信を通じ、新しい関わり方をつくる必要性も語られています。

一人の生産者が引退すると、生産量が減るだけではありません。

その家に伝わる茹で方、茶摺りの加減、桶への詰め方、発酵期間、天日干しの判断なども失われる可能性があります。

阿波晩茶の魅力は、農家ごとに味が異なることです。担い手の減少は、味の多様性が失われることにもつながります。

後継者は家族だけとは限らない

かつて農業は、親から子へ引き継ぐことが一般的でした。

しかし、子どもが地域外で生活している場合や、別の仕事に就いている場合、家族だけで後継者を確保することは難しくなります。

これからは、血縁関係のない人にも技術を伝える仕組みが必要です。

地域外から移住する人、発酵食品に興味がある人、農業を始めたい人、地域文化の保存に関わりたい人など、阿波晩茶へ関心を持つ層はさまざまです🌱

上勝町では、阿波晩茶協会に関わる地域おこし協力隊員を募集し、地域団体商標、祭り、アカデミー、桶オーナー制度、研修、イベント出店などを通じた産業振興に取り組んでいます。

こうした制度は、外部の人が地域へ入り、農家と関係を築くきっかけになります。

ただし、移住者を募集するだけでは十分ではありません。

住居、収入、農地、加工場所、道具、販売先など、生活と仕事を継続できる環境を整える必要があります。

阿波晩茶づくりだけで年間の収入を確保することが難しい場合には、ほかの農業、観光、加工品販売、地域の仕事と組み合わせる方法も考えられます。

技術を記録する必要性

阿波晩茶の製法は、長い間、作業を一緒に行いながら覚える形で伝えられてきました。

「葉の色がこのくらいになったら釜から上げる」「この感触になるまで摺る」「天気と香りを見て干す」といった判断は、文章だけでは伝えにくいものです。

しかし、生産者が減少している今、口頭伝承だけに頼ることにはリスクがあります。

製造工程を映像で記録する、農家ごとの道具や作業方法を写真に残す、茹で時間や漬け込み期間を記録するなど、技術を見える形で保存する必要があります📹

記録する目的は、すべての農家に同じ製法を求めることではありません。

むしろ、家ごとに異なる方法や考え方を残すためです。

標準的な製造工程を学んだうえで、それぞれの農家の工夫や地域差を理解できれば、新しい担い手も阿波晩茶の多様性を守りながら技術を受け継げます。

作業負担を減らす道具と設備

伝統製法を守ることと、すべてを昔と同じ道具で行うことは同じではありません。

高齢の生産者や新規就農者が作業を続けるためには、身体的負担を減らす工夫が必要です。

摘み取った茶葉を運ぶ小型運搬機、持ち上げ作業を補助する器具、安全に茶葉を茹でられる釜、乾燥を補助する設備、選別作業を行いやすくする作業台などが考えられます。

重要なのは、味や発酵に関わる本質的な工程を守りながら、危険な作業や過度な負担を減らすことです⚙️

共用の加工施設を整備し、複数の農家が設備を利用する方法もあります。

一軒ごとに高価な設備を用意する必要がなくなり、衛生管理や作業環境を一定の水準に保ちやすくなります。

一方で、共通設備を使うことで家ごとの味が失われないよう、桶や発酵条件を分ける工夫も必要です。

適正価格で販売すること

阿波晩茶を未来へ残すためには、農家が継続できる収入を得なければなりません。

茶摘みから完成まで多くの手作業が必要なのに、一般的な大量生産のお茶と同じ価格で販売すれば、十分な利益を確保できません。

価格を上げることに抵抗を感じる農家もいるかもしれません。

昔から日常的に飲んできたお茶だからこそ、「高く売ってはいけない」と考える人もいるでしょう。

しかし、低価格を維持した結果、生産者が疲弊し、製造をやめてしまえば、阿波晩茶そのものが失われます。

適正価格を設定するためには、茶葉の栽培、茶摘み、製造、乾燥、選別、包装、販売、配送にかかる時間と費用を把握することが大切です💰

そのうえで、なぜこの価格になるのかを消費者へ説明します。

手作業の多さ、乳酸発酵という珍しい製法、生産量の少なさ、文化を守る意味を丁寧に伝えれば、価格だけでなく価値で選んでもらえる可能性があります。

阿波晩茶を使った新商品

茶葉として販売するだけでなく、阿波晩茶を使った新しい商品の開発も考えられます。

飲料、菓子、アイスクリーム、料理、調味料など、味や香りを生かせる用途はさまざまです。

飲食店と協力して阿波晩茶に合う料理を提案したり、宿泊施設でウェルカムドリンクとして提供したりする方法もあります🍽️

新商品を開発する際には、流行を追うだけでなく、阿波晩茶らしさを残すことが重要です。

発酵による爽やかな酸味や、食事の邪魔をしにくいすっきりした後味を生かせば、一般的な緑茶とは異なる商品をつくれます。

また、茶葉を大きな袋で販売するだけでなく、少量包装やティーバッグにすることで、一人暮らしの人や初めて試す人も購入しやすくなります。

伝統的な飲み方を守りながら、現代の生活に合った形へ変える柔軟さが求められます。

観光と教育を組み合わせる

阿波晩茶は、完成した商品だけでなく、製造工程そのものに大きな価値があります。

山の茶畑、真夏の茶摘み、大釜から立ち上る湯気、木桶に漬け込まれた茶葉、庭に広げられた茶干しの風景は、地域外の人にとって新鮮です。

上勝阿波晩茶協会では、収穫や昔ながらのお茶づくりを体験するオーナー制度が紹介されています。

今後は、観光客向けの短時間体験だけでなく、学校教育、大学の研究、企業研修、料理人や発酵食品関係者の研修など、多様な学びと結び付けることが考えられます。

子どもたちが地域の文化として阿波晩茶を学べば、将来生産者にならなくても、購入者、応援者、情報発信者として関わる可能性があります。

「つくる人」だけでなく、「飲む人」「伝える人」「手伝う人」を増やすことが、文化の継承につながるのです🤝

環境とともに続ける農業

阿波晩茶は、山の斜面や家の周囲、畑の畔など、地域にある土地を活用してつくられてきました。

茶の木を管理することは、農地や集落周辺の景観を守ることにもつながります。

生産者がいなくなり、茶畑が放置されれば、草木が生い茂り、地域の風景も変わってしまいます。

阿波晩茶農家を支えることは、一つの商品を残すだけではありません。

山間地域の農地、暮らし、発酵文化、共同作業、景観を守ることでもあります🌳

今後は、環境に配慮した栽培方法や包装、地域資源を活用した循環型の生産なども、商品価値の一部として伝えられるでしょう。

ただし、環境への取り組みを宣伝だけで終わらせず、農家の負担軽減や収益向上にもつなげることが大切です。

まとめ

阿波晩茶を次の百年へつなぐためには、昔ながらの製法を守るだけでは足りません。

新しい担い手を地域内外から受け入れ、技術を記録し、作業負担を減らし、適正価格で販売できる仕組みを整える必要があります。

オンライン販売、新商品、観光、教育、地域おこしなどを組み合わせることで、阿波晩茶に関わる人を増やすことも重要です。

伝統とは、何も変えずに保存することではありません。

大切な部分を見極めながら、その時代の暮らしに合う形へ変化し、受け継いでいくことです✨

阿波晩茶農家はこれから、茶葉を育てる農家であると同時に、発酵技術の継承者、地域文化の案内人、観光や教育の担い手、全国へ価値を届ける事業者としての役割を担っていくでしょう。

山の暮らしから生まれた一杯のお茶を未来へ残せるかどうかは、農家だけの努力では決まりません。

飲む人、購入する人、体験する人、伝える人が一緒になって支えることで、阿波晩茶はこれからの時代にも新しい形で受け継がれていくのです🍵

未来に繋ぐ阿波晩茶~地域の伝統茶から全国へ~

皆さんこんにちは!

Kamikatsu-TeaMateの更新担当の中西です!

 

~地域の伝統茶から全国へ~

 

かつて阿波晩茶は、徳島県の山間部を中心に飲まれる日常のお茶でした。

農家が家ごとに製造し、自宅で飲み、親戚や知人に配り、余った分を仲買人へ販売する。味や製法について詳しい説明をしなくても、地域の人たちは阿波晩茶がどのようなお茶なのかを知っていました。

しかし、生産者と地域内の消費者が減少する中で、阿波晩茶農家は「つくっていれば自然に売れる」という環境から、新しい顧客に価値を伝えて購入してもらう環境へと移っていきました。

その変化を支えたのが、地域ブランド化、インターネット販売、体験型観光、文化財としての評価です✨

今回は、阿波晩茶農家が「生産する農家」から、「販売し、発信し、文化を伝える事業者」へ変わっていった流れを見ていきます。

地域名を冠したブランドづくり

阿波晩茶は、主に上勝町、那賀町、美波町などで受け継がれてきました。

同じ阿波晩茶でも、地域、茶畑、製造者、漬け込み方法によって味わいが異なります。

消費者へ商品を届ける際には、ただ「阿波晩茶」と表示するだけではなく、どこで、誰が、どのようにつくったお茶なのかを明確にすることが大切になりました。

そこで「上勝阿波晩茶」など、地域名を冠したブランドづくりが進められています。

上勝阿波晩茶協会は、上勝町産の阿波晩茶を、山間部でつくられ、茶葉を茹でて漬け込み、乳酸菌発酵させた独特のお茶として紹介しています。黄金色ですっきりした味わいも特徴として発信しています。

地域名を付けることには、産地を分かりやすくするだけでなく、品質や文化を守る意味があります。

知名度が高まると、産地とは関係のない商品が似た名称で販売される可能性もあります。農家や地域団体が協力し、名称の使い方や品質について考えることは、ブランドを長く守るうえで重要です🛡️

パッケージと見せ方の変化

昔の阿波晩茶は、自家用であれば大きな袋や容器に保管し、必要な分だけ取り出して使われました。

親戚や知人へ渡す際にも、簡素な袋で十分だったでしょう。

しかし、都市部の店舗やオンラインショップで販売する場合には、商品の見た目も重要になります。

袋のデザイン、ロゴ、商品名、説明文、内容量、淹れ方など、初めて阿波晩茶を見る人にも魅力が伝わる工夫が必要です。

「酸っぱいお茶」とだけ説明すると、飲みにくい味を想像される可能性があります。

そこで、「乳酸発酵による爽やかな酸味」「食事に合わせやすいすっきりした味」「温かくても冷たくても楽しめる」といった表現を使い、味わいを具体的に伝えます🍵

生産者ごとの違いを楽しめるように、農家の名前や茶畑の場所、発酵方法を紹介する商品も考えられます。

ワインやコーヒーのように、産地や生産者による個性を選ぶ楽しさを伝えられれば、阿波晩茶の新しい市場につながります。

インターネット販売による販路拡大

インターネットの普及は、山間部の農家にとって大きな転換点になりました。

以前は、遠方の消費者へ販売するために、仲買人や卸売業者、小売店を通す必要がありました。

現在では、農家や地域団体がオンラインショップを開設し、全国の消費者へ直接販売できます。

ホームページやSNSを使えば、商品の写真だけでなく、茶摘みの様子、発酵中の桶、茶干しの風景、農家の考え方なども伝えられます📱

阿波晩茶は一般的なお茶と製法が大きく異なるため、商品の背景を知ることで興味を持つ人も少なくありません。

一杯のお茶が完成するまでに、真夏の茶摘み、大釜での茶茹で、茶摺り、桶への漬け込み、発酵、天日干し、選別という工程があります。

こうした手間を写真や動画で見せることは、価格に対する理解にもつながります。

ただし、オンライン販売では、注文管理、在庫管理、梱包、発送、問い合わせ対応などの仕事も増えます。

阿波晩茶農家は、農作業と製造だけでなく、小売業や広報の役割まで担うようになったのです。

体験を通じて伝えるお茶づくり

商品を販売するだけでなく、茶摘みや製茶を体験してもらう取り組みも広がっています。

上勝阿波晩茶協会では、夏の収穫や昔ながらの製法によるお茶づくりを体験する「オーナー制度」を紹介しています。

実際に山の斜面へ入り、茶葉を摘み、大釜や桶を使う体験は、完成品を購入するだけでは得られない価値があります。

茶摘みの大変さを知ることで、一袋のお茶に込められた手間を実感できます。

発酵の仕組みや農家ごとの製法を学べば、阿波晩茶の味をより深く楽しめるでしょう😊

農家にとっても、体験事業には複数のメリットがあります。

参加費による収入が得られるだけでなく、阿波晩茶を継続的に購入してくれるファンを増やせます。参加者がSNSで体験を紹介すれば、新しい人へ情報が届く可能性もあります。

さらに、体験をきっかけに地域へ移住したり、農作業を手伝ったり、将来の生産者を目指したりする人が現れるかもしれません。

体験型観光は、販売促進だけでなく、担い手づくりの入り口にもなります🌱

重要無形民俗文化財への指定

阿波晩茶にとって大きな節目となったのが、2021年3月の重要無形民俗文化財指定です。

指定の対象となったのは完成したお茶そのものではなく、「阿波晩茶の製造技術」です。

上勝町、那賀町、美波町で伝承されてきた茶摘み、茶茹で、茶摺り、漬け込み、茶干し、選別といった一連の技術が、地域の特色を示す重要な民俗文化として評価されました。

この指定は、阿波晩茶農家にとって大きな誇りになる一方、責任も伴います。

文化財として評価されたからといって、自動的に生産者が増えたり、収入が安定したりするわけではありません。

指定をきっかけに関心を持った人へ、どのように製法を伝え、購入や体験につなげるかが重要です。

また、伝統を守ることは、昔のやり方を一切変えないという意味ではありません。

衛生管理、作業者の安全、商品の表示、販売方法など、現代の基準に対応しながら、製法の本質を残す必要があります。

生産者同士の連携

かつて阿波晩茶は、家ごとに独立してつくられていました。

家の味を守ることは重要ですが、生産者が減少する現代では、一軒の農家だけですべての課題に対応することが難しくなっています。

そこで、協会や保存会を通じた連携が重要になります。

共同でイベントへ出店する、研修を開催する、販売状況を調査する、加工施設や展示場所を整備するといった活動は、地域全体でなければ進めにくいものです。

上勝町では現在も、地域団体商標の活用、阿波晩茶祭り、アカデミー部門、桶オーナー制度、生産・販売状況の調査などを含む産業振興活動が進められています。

農家同士が協力することで、個々の味を残しながら、「阿波晩茶という文化」全体を発信できます🤝

健康情報を扱う際の注意

発酵食品への関心が高まる中で、乳酸発酵茶である阿波晩茶にも健康面から注目が集まることがあります。

ただし、健康効果を強調して販売する際には注意が必要です。

食品は薬ではないため、病気が治る、必ず健康になるといった表現は避けなければなりません。

農家や販売者が伝えるべきなのは、製法、香り、味、飲み方、地域文化など、確認できる事実や魅力です。

過度な健康表現に頼らず、「おいしいから飲みたい」「文化を応援したい」と思ってもらえる商品づくりが、長期的な信頼につながります🌿

まとめ

阿波晩茶農家は、地域内で飲まれるお茶をつくる存在から、全国の消費者へ商品と文化を届ける存在へ変化してきました。

地域名を冠したブランド化、パッケージの改善、オンライン販売、SNS発信、茶摘み体験、イベント出店など、現代の農家に求められる仕事は多岐にわたります。

2021年には製造技術が国の重要無形民俗文化財に指定され、阿波晩茶は地域の飲み物であると同時に、日本の貴重な食文化として位置付けられました。

しかし、本当の意味で文化を守るには、評価されるだけでなく、生産者が仕事として続けられることが必要です。

一袋のお茶を購入すること、茶摘み体験に参加すること、誰かに阿波晩茶を紹介すること。その一つひとつが、農家と伝統を支える力になります😊

阿波晩茶農家の現代的な役割とは、お茶を製造するだけでなく、その背景にある山の暮らし、発酵の技術、家ごとの味を、次の世代へ伝えることなのです。

未来に繋ぐ阿波晩茶~時代に直面した~

皆さんこんにちは!

Kamikatsu-TeaMateの更新担当の中西です!

 

~時代に直面した~

 

阿波晩茶は、徳島県の山間部で自家用のお茶としてつくられながら、明治時代以降は商品として広く流通するようになりました。

仲買人がお茶を買い付け、徳島市だけでなく、香川県や兵庫県の淡路島などにも運ばれていた記録があります。特に明治後期から大正期にかけては生産量が増加し、阿波晩茶は地域農業を支える重要な産物の一つになりました。

ところが、昭和から平成へと時代が移り変わる中で、日本人の暮らしやお茶の飲み方は大きく変化します。

交通網の発達、食品流通の全国化、ペットボトル飲料の普及、農村部の人口減少など、さまざまな変化が阿波晩茶農家にも影響を与えました。

今回は、流通の拡大を経験した阿波晩茶が、なぜ生産減少や担い手不足という課題に直面するようになったのかを見ていきます📖

仲買人が支えた阿波晩茶の流通

自動車や宅配便が普及していない時代、山間部に暮らす農家が、自分たちで都市部まで商品を運んで販売することは簡単ではありませんでした。

そこで重要な役割を果たしたのが仲買人です。

仲買人は農家を回って阿波晩茶を買い集め、それを茶商や小売店へ卸しました。農家は販売先を一軒ずつ探さなくても、製造したお茶を現金化できます。

阿波晩茶は徳島市だけでなく、香川県の各地や小豆島、直島、豊島、兵庫県の淡路島などにも流通していたとされています。地域によっては、阿波晩茶の酸味やすっきりした味わいが日常のお茶として親しまれていました。

この時代の農家は、家族で飲む分に加えて、販売する分も計画して製造するようになります。

多くつくれば収入につながるため、茶畑を広げたり、桶を増やしたり、茶摘みを手伝う人を雇ったりする農家もあったでしょう。

阿波晩茶づくりが、家庭内の保存食づくりに近い仕事から、地域の産業へと発展していった時代です📈

戦後の生活変化とお茶の選択肢

戦後、日本の経済成長が進むと、人々の生活は大きく変化しました。

道路や鉄道が整備され、全国各地の商品が店頭に並ぶようになります。山間部でも煎茶、ほうじ茶、紅茶、コーヒーなど、さまざまな飲み物を購入できるようになりました。

それまで地域ごとに飲まれていたお茶は、全国的な商品と競争することになります。

色が鮮やかで香りの分かりやすい煎茶は、贈答品や来客用のお茶として広まりました。一方、乳酸発酵による酸味を持つ阿波晩茶は、初めて飲む人には特徴の強いお茶と感じられることがあります。

地域では当たり前だった味が、大量流通の市場では「珍しい味」として扱われるようになったのです。

これは阿波晩茶の価値がなくなったということではありません。

しかし、消費者が選べる飲み物が増えたことで、阿波晩茶だけを日常的に飲む家庭は少しずつ減っていきました。

若者の都市流出と農家の高齢化

高度経済成長期には、地方から都市部へ就職する若者が増えました。

山間部で家業を継ぐよりも、都市の工場や企業で働くことを選ぶ人が増え、農家の後継者不足が進みます。

阿波晩茶づくりは、夏の暑い時期に集中して行われる重労働です。

山の斜面で茶葉を摘み、大量の葉を運び、大釜で茹で、桶に詰める作業には体力が必要です。茶葉を天日で乾燥させる際には天候を確認しながら作業し、最後の選別にも多くの時間がかかります。

若い働き手が地域を離れ、高齢の農家だけで作業を続けるようになると、以前と同じ量を生産することが難しくなります。

茶畑をすべて管理できなくなり、製造する桶の数を減らす農家も出てきます。

「今年まではつくるけれど、来年は分からない」

そのような農家が増えることは、一軒分の生産量が減るだけの問題ではありません。家ごとに異なる発酵方法や味、道具の使い方も失われる可能性があります⚠️

現在の生産者からも、担い手の減少や高齢化によって製法の継承が難しくなっていることが課題として挙げられています。

機械化が難しい伝統製法

昭和以降、多くの農業分野では機械化が進みました。

田植え機やコンバイン、茶刈り機などが普及し、少ない人数でも広い農地を管理できるようになりました。

しかし、阿波晩茶ではすべての工程を機械化することが簡単ではありません。

茶畑は急な斜面や家の周囲に点在しているため、大型機械を入れにくい場所があります。また、阿波晩茶では夏まで育てた葉を使用し、家ごとに異なる方法で加工するため、一般的な煎茶用の製茶機械をそのまま使うことはできません。

茶摺り、桶への漬け込み、茶干し、選別など、人の感覚や経験に支えられてきた作業も多く残っています。

一部の作業を機械で補助することはできても、完全な大量生産方式へ切り替えると、阿波晩茶らしい品質や家ごとの個性が失われる可能性があります。

効率を上げたい一方で、伝統製法も守りたい。

この二つをどのように両立するかが、阿波晩茶農家の長年の課題となっています🤔

ペットボトル飲料の普及

家庭で急須ややかんを使ってお茶を淹れる習慣も、時代とともに変化しました。

外出先で手軽に飲める缶飲料やペットボトル飲料が普及し、自宅でも茶葉を使わず、購入した飲料をそのまま飲む人が増えました。

阿波晩茶は、大きなやかんで煮出して冷やしておく飲み方にも適しています。しかし、忙しい生活の中で、お茶を沸かし、冷まし、容器へ移す作業を負担に感じる家庭もあります。

若い世代が阿波晩茶を知らないまま地域を離れると、親から子へと自然に飲み方が伝わりにくくなります。

農家にとっては、「お茶をつくる人が減る」だけでなく、「日常的に飲む人が減る」という二重の変化が起きたのです。

一方で、この変化は後に阿波晩茶を新しい商品として見直すきっかけにもなります。

日常茶としての消費が減ったからこそ、「乳酸発酵させる珍しいお茶」「地域にしかない伝統的な味」として、新たな価値を伝える必要が生まれました🌿

大量販売から小規模な直接販売へ

仲買人が大量に買い付ける流通が弱くなると、農家は新しい販売方法を考える必要があります。

地域の直売所、道の駅、観光施設、催事などで、消費者へ直接販売する動きが広がりました。

直接販売には、手間がかかります。

袋を用意し、ラベルを貼り、価格を決め、商品の特徴や淹れ方を説明しなければなりません。

しかし、仲買人を通す方法とは異なり、購入者の反応を直接知ることができます。

「酸味があって飲みやすい」「食事に合う」「冷やして飲むとおいしい」といった声は、農家にとって励みになります😊

また、大量に安く販売するのではなく、手作業による希少な発酵茶として適切な価格を付ける考え方も広まりました。

生産量が少なくても、阿波晩茶の背景や製法を丁寧に伝えることで、価値を理解して購入してもらえる可能性があります。

「古いお茶」から「珍しい発酵茶」へ

時代の変化は、阿波晩茶農家に多くの困難をもたらしました。

人口減少、高齢化、後継者不足、消費習慣の変化などによって、生産をやめる農家も増えました。

しかしその一方で、全国どこでも同じ商品を購入できる時代になったからこそ、地域独自の商品が注目されるようになります。

阿波晩茶は、茶葉を茹でてから桶に漬け込み、乳酸発酵させる後発酵茶です。煎茶や一般的な番茶とは異なる製造方法が、次第に「時代遅れ」ではなく「ほかにない価値」として評価されるようになりました。

かつては地元で当たり前に飲まれていたため、わざわざ説明する必要がなかったお茶です。

しかし地域外の消費者へ販売するためには、製造方法、味の特徴、地域の自然、農家の物語を言葉にして伝えなければなりません。

阿波晩茶農家は、単にお茶をつくる人から、その文化や価値を説明する発信者へと変化していったのです📣

まとめ

明治から昭和にかけて、阿波晩茶は仲買人を通じて県内外へ広く流通し、山間部の農家を支える商品になりました。

しかし、戦後の生活様式の変化、若者の都市流出、農家の高齢化、飲料商品の多様化などによって、生産者と消費者の両方が減少していきます。

大量に生産し、大量に販売する時代の中で、手作業が多く、家ごとに味が異なる阿波晩茶は、効率の面では不利な商品だったかもしれません。

それでも製法が途絶えなかったのは、農家にとって阿波晩茶が単なる販売商品ではなく、家族の味であり、地域の暮らしそのものだったからです🍵

そして大量生産の商品があふれる時代を経たことで、阿波晩茶の希少性や地域性が、再び大きな価値を持つようになっていきました。

未来に繋ぐ阿波晩茶~暮らしの中から生まれた~

皆さんこんにちは!

Kamikatsu-TeaMateの更新担当の中西です!

 

~暮らしの中から生まれた~

 

徳島県の山間部で受け継がれてきた阿波晩茶は、一般的な煎茶とは異なる方法でつくられる、全国的にも珍しい発酵茶です。

夏まで十分に成長させた茶葉を摘み取り、大釜で茹で、茶葉を摺って表面に傷をつけた後、木桶などに漬け込んで乳酸発酵させます。発酵を終えた茶葉は天日で乾燥させ、枝や茶の実などを取り除いて完成します。阿波晩茶の製造技術は、上勝町、那賀町、美波町などの山間地域で伝承され、2021年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。

現在では「徳島県を代表する伝統茶」として知られるようになりましたが、もともとの阿波晩茶は、全国へ向けて販売する特産品というよりも、それぞれの家庭が自分たちで飲むためにつくる日常のお茶でした🍵

今回は、阿波晩茶農家がどのように生まれ、家ごとのお茶づくりが地域の生業へと変化していったのかを振り返ります。

山の暮らしに寄り添ってきたお茶

阿波晩茶が受け継がれてきた地域は、山と谷が連なる自然豊かな土地です。

平地が少なく、家や畑が山の斜面や谷沿いに点在する地域では、広い面積を使った大規模農業を行うことが簡単ではありませんでした。その一方で、山には「ヤマチャ」と呼ばれる在来の茶の木が自生し、家の周囲や畑の畔、傾斜地などでも茶葉を育てることができました。

阿波晩茶は、そうした地域の自然環境と、人々の暮らしの工夫から生まれたお茶だと考えられます。

起源については、弘法大師が中国から製法を持ち帰ったという説も伝えられていますが、はっきりとした始まりが確認されているわけではありません。ただし、近世の文献には阿波晩茶と思われる「番茶」の記述があり、長い年月をかけて地域に定着してきたことがうかがえます。

かつての農家にとって、お茶はわざわざ店で買うものではありませんでした。

家の周囲にある茶の木から葉を摘み、自分たちで加工し、一年を通して飲む。冬には温かくして、夏には冷やして飲み、食事の際にも畑仕事の休憩にも阿波晩茶が用意されました。

一日に何度も口にする阿波晩茶は、特別な日に飲む高級品ではなく、山間部で暮らす人々にとって水や食事に近い存在だったのです😊

家族総出で行われた夏のお茶づくり

阿波晩茶の製造は、主に7月から8月の暑い時期に行われます。

一般的な日本茶では春の柔らかい新芽を摘みますが、阿波晩茶では夏まで育った大きな茶葉を使用します。茶摘み、茶茹で、茶摺り、漬け込み、茶干し、選別という工程があり、現在でも多くの作業に人の手が必要です。

昔の農家では、家族や親戚、近所の人たちが協力して茶摘みを行いました。

山の斜面にある茶畑で、一枚一枚の茶葉を手で摘み取っていく作業は簡単ではありません。強い夏の日差しの中で、腰に籠を付け、茶の木を回りながら作業を続けます。

大量に摘み取った茶葉は、その日のうちに家の作業場へ運ばれます。大きな釜で茹でた後、茶摺りを行い、桶に詰めていきます。

桶へ漬け込む際には、茶葉の間に空気が残らないように踏み固め、葉などで隙間をふさぎ、石を載せて押さえます。家ごとに桶の大きさや道具、茹で時間、漬け込み期間が異なり、長年の経験によって独自の味がつくられてきました。

つまり、阿波晩茶には統一された一つの味があるのではありません。

同じ地域、同じ年の茶葉であっても、農家によって香りや酸味、色合いが変わります。この「家ごとの味」が阿波晩茶の大きな魅力です✨

お茶づくりは地域の共同作業だった

昔の農村では、現在のように便利な機械や人材派遣サービスがありませんでした。

一軒の家だけで茶摘みから製造までを行うことが難しい場合には、親戚や近所の人が作業を手伝いました。そして別の家がお茶づくりをするときには、今度は自分たちが手伝いに行きます。

こうした助け合いは、阿波晩茶をつくるためだけのものではありません。

田植え、稲刈り、山仕事、冠婚葬祭など、地域の暮らし全体を支える関係の中に、阿波晩茶づくりも含まれていました。

作業の合間には皆で食事を取り、大きなやかんで沸かした阿波晩茶を飲む。お茶をつくりながら、そのお茶を飲む時間が、人と人とのつながりを深めていたのです🤝

完成した阿波晩茶は、自宅で飲むだけでなく、親戚や知人への贈り物にも使われました。

「今年のお茶ができたから持っていき」と分け合う文化は、商品を売買する関係とは異なります。お茶を通じて、互いの暮らしや健康を気遣う意味もあったのでしょう。

自家用のお茶から販売する商品へ

阿波晩茶は長い間、自家消費を中心につくられてきましたが、時代が進むにつれて販売される量も増えていきました。

文化庁の詳細解説によると、1882年の『徳島県統計表』には、「緑茶」と並んで「晩茶」の生産量が記録されています。当時の阿波晩茶の生産量は約284トンに相当し、緑茶の倍近い量だったとされています。明治期の徳島県では、阿波晩茶が現在よりも広く生産・流通していたことが分かります。

生産量が増えるにつれて、農家のもとへ仲買人が訪れ、まとまった量のお茶を買い付けるようになりました。

それまで自宅や近所で消費されていた阿波晩茶が、徳島市をはじめとする町へ運ばれ、さらに県外にも流通していきます。

農家にとって阿波晩茶は、暮らしに必要なお茶であると同時に、現金収入を得られる農産物へと変化しました💰

山間部では、米や野菜だけで十分な収入を得ることが難しいこともあります。家の周囲や山の斜面で育てられる茶の木を活用し、夏の時期に阿波晩茶を製造することは、地域の環境に適した仕事だったのです。

「農家」と「加工業者」の両方を担う仕事

阿波晩茶農家の特徴は、茶葉を育てて収穫するだけではないことです。

通常の農産物であれば、収穫後に市場や加工会社へ出荷する方法もあります。しかし阿波晩茶では、農家自身が茶葉を茹で、摺り、発酵させ、乾燥させ、選別するところまで担ってきました。

茶の栽培技術だけでなく、発酵状態を見極める知識、天候を判断して茶葉を干す経験、味を整える感覚も必要です。

現在の言葉で表せば、阿波晩茶農家は「農業」「食品加工」「品質管理」を一軒の家で行ってきたことになります。

さらに、販売するようになれば、袋詰め、価格決定、顧客対応、配送まで必要になります。

時代が変わっても、阿波晩茶農家の仕事が手間のかかるものであることは変わりません。しかし、その一つひとつの工程があるからこそ、工業製品にはない個性や物語が生まれるのです🌿

暮らしの味を守ることの意味

阿波晩茶の歴史を振り返ると、最初から観光商品や高級茶としてつくられていたわけではないことが分かります。

地域の人が自分たちで飲むためにつくり、家族や親戚と分け合い、夏の作業として受け継いできたものが、少しずつ地域外へ販売されるようになりました。

阿波晩茶農家における最初の大きな変化は、「家のためにつくるお茶」から「地域の外にも届ける商品」への変化だったといえるでしょう。

しかし、販売する商品になった後も、その根本には日常のお茶という性格が残っています。

朝から大きなやかんで沸かし、食事のときにも仕事の合間にも飲む文化は、現在の上勝町などでも受け継がれています。

華やかさだけではなく、毎日の暮らしに自然と溶け込んでいること。それこそが阿波晩茶の原点であり、長い年月にわたって農家が守ってきた大切な価値なのです🍵

まとめ

阿波晩茶農家の歴史は、山間部の自然と暮らしの中から始まりました。

家の周囲や傾斜地にある茶の木を活用し、家族や地域の人が協力して茶葉を摘み、茹で、発酵させる。完成したお茶は自宅で飲み、親戚や知人と分け合う。そこには、現代の大量生産とは異なる、地域の生活に根差したお茶づくりがありました。

やがて阿波晩茶は仲買人を通じて広く流通し、農家の収入を支える商品へと変化していきます。

それでも、阿波晩茶の中心にあるのは「暮らしのためのお茶」という考え方です😊

この原点を知ることで、阿波晩茶の独特な酸味や香りの奥に、山の自然、家族の共同作業、地域の助け合いがあることを感じられるのではないでしょうか。